自分の中にコントロールするパワーが存在するということを知らないために、自分以外のことや、自分以外の人をコントロールします。
よく自分の意見を人に押しつける人がいますけれども、自分でもいっていることを信じていないので、人を説得しなくてはいけません。
彼らは、自分でパワーがないと信じている人達です。ところが自分のまわりには、自分をコントロールしようとしている人がいるように思えるのです。そして、それに対して怒るのです。そのために、怒りと怨みつらみでもっとまわりの人に攻撃します。
できる限り人から奪おうという思想しか持っていないからです。
自分にパワーがないと信じることは、自分が死んでいきつつあるということを信じているということです。自分にパワーがない時、人にもパワーを持っていないことを望みます。
以上、ダリル・アンカ (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈1〉ワクワクが人生の道標となる。 VOICE新書』P.32-33より引用させていただきました。
あ~耳が痛いなこのバシャールの言葉。
なぜなら過去の私自身の姿だからです。
でも今はバシャールの言っていることを信じているので、そのようなことはありません。
でも、そういう過去があるからこそ、この引用した部分はよく理解できます。
自分のことを不幸である、社会の被害者であると思っていると、幸せそうにしている人や楽しそうにしている人を、自分と同じ境遇に引きずり落としたくなります。自分が不幸なのに他人が幸福なのを許せなくなるのです。
自分にはパワーがないと思っているので、自分は被害者だ、自分は外部の力にコントロールされている、だからこそ自分は不幸なままなのだ、悪いのは自分ではなく自分をコントロールしている外部なのだ、そう思っています。
そして自分にはパワーがないと思っているので、他人がパワーを持っていると、不公平に感じるのです。何故自分だけ、自分にだけ、パワーはないのだ!と。自分も彼らと同じことをしているではないか!それなのに何故自分だけ。きっとあの他人は裏で悪いことをしているに違いない……。
自分が外部の力のコントロールされているように感じたとき怒りが生まれるようです。
怨みも生まれます。そしてそれらの感情は、当然のように他への攻撃へと向かいます。
さて、すべては中立です。
だから自分にパワーがないと信じようが、あると信じようが、個人の自由です。
ただ、自分にパワーがないと信じることは、自分が死んでいきつつあるというこを信じることであり、自分にパワーがあると信じることは、自分は生きつつあると信じることである、そういうことです。