バシャールと宇宙連合による本『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』の20ページにはこうあります。
皆さんの想像、すなわちイマジネーションはすべてひとつの波動です。エネルギーが形となったもので、ある瞬間に時間と空間を有し、エネルギーと位置、場所、実体をもち、フォーカスすることによって知覚される形となる力を持っています。
「存在」が「存在」という概念に変化し得たのは、「存在」にはその能力があったから。
存在が起こし得ることは起きる。
どのようなものでも、存在すると思えるものはすべてどこかの次元に必ず存在している。
イマジネーションは波動である。
波動とはエネルギーが実体化したもの。
(ではエネルギーには形がない?つまり物理的には無?)
人間の想像力、イマジネーションは物理的には無なのか有なのか。
(バシャール的にはイマジネーションは波動であり実体をもつのであるから、イマジネーションは物理的に有であるはずだ。しかしこの次元にその実体をもつとは限らない。知覚不可能な次元に存在するものは果たして物理的存在と言えるのかどうか。
並行宇宙の考えを持ち込めば、この現在において、無限に存在する様々な並行宇宙では起こり得ることがすべて起こっている。ただこの場合も並行する宇宙はまったく別の宇宙であるので、この宇宙からは知覚不能である。
ここでも、絶対知ることのできないものが果たして物理的存在と言えるのかどうか。)
もし想像力が物理的なものであれば、当然有限だろう。
脳が許す限りの大きさしか持ち得ない。
しかし一方で想像力は物理的には無にも思える。
というのは、想像力は無限であると考えられるからだ。
想像力は記憶にないものは想像できないが、
いやそうじゃなくて、個人の想像力には限りがあるのか?
人間はそれまでに見聞きしたものしか想像できないはずだ。
よって本当の宇宙の果ては想像できない。
想像できたとしても過去の記憶を組み合わせているに過ぎない。
想像力が過去の記憶とそれらの組み合わせに依存するのだとしたら、ひょっとしたら想像力には限界があるのではないだろうか。
その限界は脳の記憶容量によるだろう。
脳の記憶容量はいつか限界に達するだろうし、もし限界に達したならば、蓄積した記憶の組み合わせ数にも限界が生じることになる。
つまり想像力に限界が生じると考えられる。
……と、これは意識というものが脳に完全依存すると考えた場合だ。
バシャールの言うように脳は単にアンテナの役目しかしないのであればまた話は違ってくるだろう。
あるいは個々の意識で考える場合とたったひとつの意識しか存在しないと考える場合でもまた違ってくるだろう。
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