すべての人が本来の自分自身(natural self)であるときには、自然と他の人との調和が保たれ、みんなと調和することができるのです。そのとき、この世界は完璧なタイミングのダンスになるのです。 : バシャール スドウゲンキ

すべての人が本来の自分自身(natural self)であるときには、自然と他の人との調和が保たれ、みんなと調和することができるのです。
そのとき、この世界は完璧なタイミングのダンスになるのです。

以上を、須藤元気 (著, 編集), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 尾辻かおる (編集), 大空夢湧子 (翻訳)『バシャール スドウゲンキ』P.72より引用させていただきました。

これと同じようなことを最近読書している「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」の中にも見つけて、ひょっとしてこの著者、バシャールの本を読んでるのかな?なんて楽しい空想をしたりします。

詳しくは後ほど何処かでまた取り上げるとは思いますが。

今回は本当の自分についてです。

本来の自分自身というのは、我々が一般的に口にする本当の自分というのとほぼ同義だと思われます。

アナと雪の女王の「ありのまま」というのも、ほぼ同じ意味だと考えられます。

この場合の問題点は、他の人との調和が保たれない即ちわがままで自己中心的な自分であっても、それは本当の自分、ありのままの自分であると言えるのか?です。

以前の私は、そういう自己中心的な自分はありのままの自分ではないだろうと思っていました。
いや正確には、自己中心的な自分が、ありのままの自分であってはいけないと思っていました。

でも最近は少し違ってきました。

わがままで自己中心的な自分でも、それはありのままの自分、本当の自分なのかも知れません。
そうやって、他人とのネガティブな調和が保たれていると考えられます。

ただその場合、ダンスの”質”が違ってくるのかも知れません。
自然が荒れ狂う時があるように……。

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