【バシャールで哲学】動きは幻想 細切れのテレポテーションに意味はあるか

バシャールは動きは幻想であると言っている。

みなさんが「動き」と呼んでいる考えは、本当は幻想で、実際にはひとつの位置から次の位置へと、テレポートしているのです。ゆっくりとした連続性を作り出すために、非常に小さなジャンプを積み重ねています。 : バシャールの学校

いわゆる動画と言われるものも、動画という割には、単に静止画が連続しているだけだったりします。
たとえば一秒間に30回静止画が入れ替わります。

そうすればスムーズな動画になります。

ピッチャーがボールを投げる動画の場合も、ボールはつねに止まっています。
ボールが止まった静止画、微妙にボールの位置がずれた静止画を、連続して見せているだけです。

だから、動画の中で、ピッチャーが投げるボールが動いているというのは、幻想です。
実際は、静止画の連続なので、静止画の中でボールは紛れもなく止まっています。

ボールは止まっているけど、動いているように見えるのは、ボールがテレポテーションしているからです。
いまの静止画のボールの位置と次の静止画のボールの位置とではボールの位置が違います。

動いたことによって、周波数を変えているのではありません。動くために、周波数を変えるのです。動きという「幻想」を創るために、自分の周波数を変えているのです。 by バシャール

バシャールの言うことが正しいとして、私達が常にテレポートしていると知ったとして、そのテレポテーションがテレポテーションしているとは分からないくらいの細切れだったら、テレポテーションしていないのと一緒です。

動画において絵はまったく動いていない、というのが真理ですが、この真理を無視することができるから、動画を楽しむことができます。同じ動画でも、ひとつの静止画から次の静止画へ移るときに数秒かかってしまえば、それは単なる退屈なスライドショーでしかありません。

ということは、細切れのテレポテーションだからこそ、動きという幻想を私達は楽しむことができる、とも言えそうです。

この物理現象は、映画やアニメーションと同じです。ひとコマ、ひとコマはそれぞれ違う場所、違う時間です。ですから違う周波数を持っているのです。 : バシャールの学校

あるいは逆に、極小のジャンプしかできないテレポテーションなんかに価値はない!と言う人もいるかもしれません。

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