【バシャールで哲学】真理の価値 第四話

もしその存在の言うことが本当であるのならば……

こういうことが成り立つのではないかと僕は考えた。

真理の価値についてである。

この僕がいまプレイしているオンラインゲームにおいて、その存在が言うことが正しいと仮定するのならば、真理とは、無限に存在するオンラインゲームのうちのひとつを僕がたまたまいまはプレイしているに過ぎない。

別のオンラインゲームを選ぶこともできたし、オンラインゲームそのものをしないことも選べた。
もっと高次元のオンラインゲームをプレイすることだって可能だった。

でも、実際にいまプレイしているのはこのオンラインゲームだけであり、このオンラインゲームにいるあいだは、この世界だけが唯一の現実、唯一リアルな体験が可能な世界なのだ。

その存在からの情報を知るまでは、このオンラインゲームの世界だけが唯一の現実で、ここでのゲームオーバーは、自分が無になることだと考えていた。

そして、そのつもりで、このオンラインゲームをプレイしていた。

もしその存在の言うことが真理であるなら、このオンラインゲームだけが唯一の世界ではなく、ここでのゲームオーバーは、アバターが消滅するだけで、プレイヤーとしての意識は無にならないとするなら、そのような真理の価値に基づけば、いますぐゲームをリセットして、他のもっと高次のもの、あるいはもっと簡単なもの、あるいは今とはまったく違う種類のゲームをプレイした方が良いのではないか?

そうも思えてくる。

あるいは、この真理をこのオンラインゲームの世界に広げることもゲームを楽しむひとつの在り方とも思える。

あるいは、すべての真理を飲み込んで、この世界で何もしないで、真理についてただひたすら考えるのも良いかもしれない。

もしプレイヤーの意識が永遠であるのならば、この世界におけるプレイの心構えもきっと変わってくるはずだ。

いずれにしても、真理の価値をどう使うか、それは、この世界におけるプレイヤーの自由意志に任されている。

終わり

追記

オンラインゲームの例えを使って小説的に書いてみましたが、まだまだ勉強不足理解不足ですし、消化不足でもあります。
さらに、こういうことは初めてなので、いろんな不備はあると思いますが、どうか大目に見てくださることを祈ります。

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