さて、スピリチュアルという単語を辞書で調べてみよう。
大辞林 第三版にはこうある。
スピリチュアル【spiritual】
一 ( 名 )
一八世紀後半から一九世紀末にアメリカ合衆国で生まれた宗教的民謡。伝統的な詩編歌や賛美歌と区別するための呼称で,白人のホワイト-スピリチュアルと黒人のブラック-スピリチュアル(黒人霊歌)に区別される。
二 ( 形動 )
精神や霊魂に関するさま。精神的な。霊的な。
どうやら死後の世界とか、形のない精神的な世界についての、言葉のようだ。
一方、一般的にスピリチュアルと言えば、超能力やパワーストーン、チャネリング、死後の世界など、目には見えないが存在すると思われるもの、あるいは存在するとは証明はできないが状況から見て存在すると思われるものに関するものを指すように思われる。
よってスピリチュアルにおいて共通する特質は、「その存在はハッキリとは証明できていない」であると思われる。
死後の世界は存在するのかどうか、それらに関する書籍を読むと、死後の世界は存在するようにも思えるが、いまのところ証明はされていない。
バシャールはこの現実は夢のようなものであり、実際は存在せず、唯一リアルに存在するものは、無条件の愛の波動だけだと言った。
しかし一方で夢の中にいるうちは夢が唯一の現実なのだ、とも言っている。
【ワクワク・バシャール!】物質レベルの現実とは、実体のあるものではなく幻想なので、観念の存在によって、あなたが物質次元で体験していることが「現実である」と信じられるようになっている。 by バシャール
幻想というのは、あなたがその中にいるうちは現実です。幻想の中にいるうちは、それはれっきとした現実なのです。 : バシャールの名言
もしバシャールの言うことが正しいのなら、この現実はオンラインゲームのような仮想現実と言っても良いのかも知れない。
オンラインゲームをしている間は、オンラインゲームの仮想世界だけが唯一の現実になる。
しかし、オンラインゲームの世界は仮想の世界であって、実際には存在していない。
でも、そこでプレイしたという個々人の経験は歴とした現実のものだ。
私たちがリアルな現実だと思っているこの世界での現実が、実は、オンラインゲームをプレイしたときの経験に過ぎないのかも知れない。あくまでも仮想現実での出来事のひとつに過ぎないのかも知れない。
オンラインゲームの中のプレイヤーが、もしリアル世界でパソコンの前に座って自分を操縦している人間がいることを、完璧に忘れることが出来たなら、ゲームオーバーというのは、自分が無になることを意味するだろう。
自分がプレイしているゲーム以外にもたくさんのゲームが同時に存在しているなどと、信じることは出来ないだろう。
しかも、自分がプレイしているゲームの世界観とはまったくかけ離れた世界観を持つゲームが他に存在するなどとは、到底信じることは出来ないだろう。
ゲームの中にいて、ゲームを操作している人間がいることを完璧に忘れているプレイヤーは、ゲームオーバー後の世界や、他にもいろんなゲームが存在することを決して証明することはできないだろう。
ゲームプレイヤーにとっての現実とはゲームの仮想現実であり、ゲームプレイヤーにとっての”スピリチュアル”な部分とは、オンラインゲームの外側の世界全部ということになる。
プレイしているゲームを現実だと仮定した場合、スピリチュアルとは、別のゲームをプレイした経験、すなわち前世の記憶だったり、ゲームの仕様書を読んで知ったある程度確定している未来だったりするのだろう。
さらにはバグや裏技的なことを使えば、超能力者と言われるかもしれない。
プレイヤーにスピリチュアルな知識があったり、外部からの裏技的な助け(超能力?)があれば、ゲームのクリアはより簡単になるだろう。
でも、ゲームを楽しむという観点からすると、それらはあまり必要のあるものとは思えない。
ゲームはゲームの中でだけ完結し、しかもみんなに平等で納得のいくルールに支配されているから、面白いし、楽しめるのではないだろうか。
ということで、現段階の結論とすれば……
もしいわゆるスピリチュアルな世界が存在していたとしても、この現実に生きている限りは、それらとまったく関わりなく生きたとしても、生きることを楽しむという人生の目的にとっては、必要不可欠なものとは言えない気がする。