私たちは、お金とは単なる「任意のシンボル」に過ぎないもの、つまり、自分の意識次第でどのようにでもなるものだと理解しているからです。
以上、本田健 (著), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる!』P.110より引用させていただきました。
確かに今まで学んできたことを総合的に考えると、お金もシンボルに過ぎないと言えるでしょう。
【ワクワク・バシャール!】この物理的な現実はすべて、ただ単にエネルギーをシンボルとして現しているだけ。 みなさんに対する情報であり、メッセージなのです。
【ワクワク・バシャール!】この物理的な世界、物理次元は、みなさんの意識の単なる比喩、たとえである、単なる象徴、シンボルである
だったらお金も自分の自由に好きなだけ増やせるはずですが……
そうはなっていません。
すべては中立であるが、この現実では集合的に同意した意味づけがすでになされている。
すべては単なるシンボルではあるが、この現実では集合的に同意した意味づけを持っている。
本来お金というものは自分の意識次第でどのようにでもなるものだが、この現実では必ずしもそうはなっていない。
広大で深いスピリチュアルの世界に、その一部としてこの物理的な現実が存在していれば、本来はすべてスピリチュアルなものではあるが、物理的な現実で生きているうちは、物理的な法則の方が優先される。(夢から覚めるまでは夢の中の世界が唯一の現実)
最近の私の推測では、この物理的な現実でスピリチュアルを究めると結果的に生き方はスピリチュアルではなくなるのでは?と考えています。
このいまの自分が生きている世界が単なる物理的な現実では物足りないような気がしてスピリチュアルという考え方を導入してみるが、その考え方を学べば学ぶほど、この物理的な現実で生きている以上は、ごくごくシンプルに物理的現実として生きればいいのでは?と思うのです。