自分の未来は現在からつくりだしているということも理解できます。
それだけでなく、自分の過去も現在からつくりだしていることがわかります。
見かけ上、過去とつながりがあるように見えているものも、あなたがいまつくっているのです。
以上、ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャールゴールド』P.251より引用させていただきました。
これについては、正直言って私には理解不能な点が多々あります。
以下、思考実験です。
本当はかじったリンゴとまだかじっていないリンゴ、このふたつしか存在しないとしたら?
つまり、リンゴをかじることはできない。
かじっていないリンゴが存在するパラレル・ワールドの次にかじったリンゴが存在するパラレル・ワールドに意識をシフトしているだけ。
本当は、かじったリンゴとかじっていないリンゴは、同じ場所同じ時間に、存在している。
しかし、私たちはどちらかのリンゴしか体験することはできない。
かじったリンゴを見て、ああ誰かがこのリンゴをかじったんだなと考えるが、かじったリンゴとかじっていないリンゴがまったくの別物なら、かじったリンゴの過去は、必ずしもかじっていないリンゴである必要性はない。
かじったリンゴの過去が、みかんでもスイカでも柿でも、なんであっても特に問題はない。
かじったリンゴがそこにあるから、かじっていないリンゴが過去にそこにあったに違いないと類推しているだけ。
実際にこの時間と空間が存在する物理的な現実で、かじっていないリンゴからかじったリンゴへと意識をシフトさせたとしても、このふたつのリンゴはまったくの別物なので、そのリンゴの過去とか未来を考えても無意味である。
……ということは
私の過去は王様で、未来は大スターでも、特に問題はないはずだ。
そういうパラレル・ワールドは必ずいまここに存在している。
王様である私も、大スターである私も、この私とはまったくの別人ということか?
しかも、私は、次の瞬間、大スターになっている自分を信じることが出来るか?
そうなることを心から信じることが出来るか?この物理的な現実の中で。