まわりに見ているものは、自分の中でなにを信じているのかを見つけだす手掛かりになります。まわりに見ているものが嫌だとしたら、自分の中でそういうものを信じているんだということが分かって、それを変えるチャンスが目の前にあるということなのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈1〉ワクワクが人生の道標となる。 VOICE新書』P.112より引用させていただきました。
この現実世界は自分で創造しているので、たとえそれが嫌なものであっても、それは自分が自分でそこに用意したものです。
その嫌なものを、嫌なまま、他の誰かが嫌がらせで自分に与えたものだと思っていると、自分を変えるチャンスを逸します。
信じることは創造することであり、そして見ることなのかもしれません。
もともと自分の中にその嫌なものがあったので、外部にそれを創造し、そして見ているのでしょう。
2013.8.28追記
まわりに見ている現実というのは、人生に対する自分の解釈の産物です。
自分がそうだと信じている意味づけの産物が自分の現実だと言えるでしょう。
だとすれば、自分には現実がどのように見えているかによって、自分が現実に与えている意味づけを知ることができる。
ネガティブな意味づけをしてネガティブな現実に見えているのなら、そのネガティブな現実を変えるチャンスを得たということ。
とてもラッキーなことだということ。
……と、そういう解釈も成り立つかも知れません。
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