アルボムッレ・スマナサーラ さんの『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)』という本に、「怒りたくないのに怒ってしまう」のを防ぐには、「怒らないこと」というのがあった。
確かにそうなんですよね。怒りたくないと言いつつも怒っているのは他でもない本人です。
私はリンゴを食べたくないと言いながらも実際にはしっかりとリンゴを食べているようなものです。
怒りたくないのなら、怒らなければいいだけです。
だって、怒っているのは他の誰でもない自分ですから。
なので、あなたが怒ったのは、怒りたかったからでしょう?となります。
「私は怒りたいのだ。ロクなものではないのだ」(同書より)
そう認めることから問題の解決は始まると言います。
仏教的考え方では、私たち人間は愛情と怒りこのふたつの感情によって生きているそうです。
そして、「怒り」の感情が生まれると「喜び」を失うと言います。
確かに、怒りながら喜ぶことはできませんから、常にそのどっちかだと思われます。
ということは、もしそこに、つまらないとか退屈だとか嫌だとかの感情があれば、心には「怒り」が存在することになります。
なぜなら、それらは「愛情」からは生まれません。
心に暗い感情が芽生え、それが強くなると「怒り」になり、喜びが失われるそうです。
そしてさらに強くなると、怒りのバリエーションが増えてきます。
この本では、怨み、軽視、張り合うこと、嫉妬、ケチ、反抗的、後悔、そして激怒などが挙がっています。
創造の源泉は愛情であり、創造したものを破壊するのが怒りの感情だとしています。
愛情と怒り、この二種類のエネルギーがいわばひとつのセットとなって、世の中を形作っていると言います。
愛は創造のエネルギーで、怒りは破壊のエネルギー、これらのエネルギーが混じり合い栄枯盛衰を繰り返してきたのが人類の歴史と言うことなんでしょうね。
そしてこの創造と破壊のエネルギー、愛と怒りは、この世界を構築している根本的なエネルギーでもある。
陰と陽、ネガティブとポジティブ、死と生、否定と肯定……。
「怒り」は人の根源的なエネルギーでもある。