対象に怒りを生むのも愛情を生むのも自分次第

「その対象を容認すればそこに愛情が生まれてくるし、拒絶したらそこに怒りが生まれてきます」と、アルボムッレ・スマナサーラ さんの『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)』という本にあります。

何か対象物を目にしたり聞いたり触れたりした場合、私たちの選択肢は「受け入れる」か「拒絶する」かです。
そして、その選択を行っているのは自分自身です。

つまり何かに対して怒りを覚えた場合、その原因は自分にあるということです。

この本には以下のような例が載っています。

そこに綺麗な花があります。
私たちはその綺麗な花を見て「綺麗だ。見ていたい」とその対象を受け入れる。
目をつぶって、次の瞬間、花の上に大きなゴキブリがいたら、「嫌だ。気持ち悪い」という怒りの感情が生まれる。

この時、怒りの感情を引き起こした犯人は、ゴキブリなのか、それとも自分自身なのか。

鶏は結構ゴキブリを食べるので、鶏がゴキブリを見たら「美味しそうだ。食べてやろう」と対象を受け入れることになる。
この鶏も、そこに美しいバラの花があっても、「つまらない。邪魔。迷惑だ」と拒絶=怒りの対象になってしまう。

これは、バシャールの言う、すべてのものや状況には始めから決まった意味などなく中立であり、自分が与える意味によって、その結果が変わってくる、というのと同じように思います。

この場合大事なのは、主導権が自分にあるということです。

何かについて怒るのも怒らないのも、自分で選択できる。
何かについて怒ってしまったら、相手に主導権を渡していることになる。

 

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