逆説に向かい合ったときは、本質に近づいているというしるしです。なぜならば、中心にいるときにのみ、それらの矛盾に見えるもの、相反して見えるものが、再び、ひとつのものとして調和できるからです。 : バシャールの学校

逆説に向かい合ったときは、本質に近づいているというしるしです。
「中心」または「核心」に近い、ということを知らせています。
なぜならば、中心にいるときにのみ、それらの矛盾に見えるもの、相反して見えるものが、再び、ひとつのものとして調和できるからです。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.185より引用させていただきました。

中心からのみ二極性が生じる。
もとはひとつなのが、矛盾して見えるだけ。

みなさんが「自分を見るために選択した次元」は、正反対のもの、二極性という概念をもつ次元であり、その波動の中にみなさんはいる。
みなさんの創造性が、ひとつのものをたくさんのものに分離して、それらがなんの関係もないと見えるくらいに分離させてしまった……とのこと。

私がこの世に存在する基本的な逆説だと思うのが、以下です。

人は受け取ることが喜びである。
(……と皆が考えてきたが、実は)

逆説

人は与えることが(真の)喜びである。

こう考えた時、私は本質に近づいているのでしょうか?

では、この逆説の「中心」とは、何処で、何なんでしょう?

全ての存在は、存在する、ただそれだけで、満たされており喜びの中にいる、ということでしょうか。
それとも、与えるということは、作用反作用の様に、同時に、受け取るということなのでしょうか。
それとも、存在はただ存在するだけで、与えたり受け取ったりと言うのは私達の幻想に過ぎない?

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