この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。真の愛の反対語は「罪悪感」です。(中略)自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。 : バシャールの学校

この文明では「憎しみ」が「愛」の反対語だと思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。
真の愛の反対語は「罪悪感」です。
私のいう罪悪感とは、なにかバランスが崩れたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。
どんなに小さな「否定」だとしても、です。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある (VOICE新書)』P.16より引用させていただきました。

愛の反対側と愛の反対語ってどう違うんでしょうね?

愛の反対側が憎しみであり
愛の反対語が罪悪感である

こう並べてみると、憎しみと罪悪感は全く逆方向を向いている気がします。
憎しみは他人に対して向けられますが、罪悪感は自分に対して向けられる憎しみのように思えます。

さらに、愛の反対語は自己否定であっても良い気がします。
罪悪感より自己否定の方が分かりやすい気がします。

愛はすべてを生み出すが、自己否定はすべてを死に向かわせる。
そういう意味で反対語だと思うのです。

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