ひとつの全体意識という観点でみれば、すべての人生は「今」起きています。
そのひとつひとつの人生は、全体意識からみれば、部分部分が凝結して小さな結晶になったものといえます。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある (VOICE新書)』P.7より引用させていただきました。
ひとつの全体意識という観点でみれば、そこには時間も空間も存在しない。
でも、時間も空間も存在しない状態とはどんな状態だろう?
意識がなにかを意識する時、そこに時間がなければ、意識できないのではないか?
何かを意識する時、そもそもそこに空間がなければ、自分以外のなにものも存在できないのではないか?
そんな疑問も湧く。
永遠の今に永遠の無
それが時間も空間も存在しないということではないのか?
そもそも今ってなんだろう?
もし今というものが存在するのなら、今というのは極々短い時間のはずだ。
でも私達が今と認識する今はかなりの時間の幅があるように思う。