神に似せてつくったということは、多次元に一度に同時に住んでいるという人間だということです。すべての人が全体のミニチュア・バージョンだということです。ですからあなた方は制限されていないということです。 : バシャールの学校

神に似せてつくったということは、多次元に一度に同時に住んでいるという人間だということです。
すべての人が全体のミニチュア・バージョンだということです。
ですからあなた方は制限されていないということです。
みなさんは、全体を反映する小さな鏡です。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.278より引用させていただきました。

私たちは神に似せてつくられたというのは聖書の有名な話ですが、バシャールの言葉には、ありとあらゆるものが神であるというような言葉もあり、となるとすべてが神に似ていてもなんの不思議もない気もします。

実は私たちは多次元に同時に住んでいるし、全体のミニチュア・バージョンでもある。
だから本来の私達には制限は存在しない。

私達が普通に自分だと思っている部分は、本来の自分のほんの一部分なんでしょうね。

神、と呼ばれる部分は全部「みんな」です。神というのは、すべてそこにあるもののことです。すべては神で創られています。ひとつのものは、ひとつでもあるが、同時にすべてのものでもあります。 : バシャールの学校

「創造のどの一部分も、一部分のフリをしている創造全体」なのです。ひとりひとりの個人は、「大いなるすべて(all that is 森羅万象)の一パーツのように演じている無限の創造全体」なのです。 by バシャール

「大いなるすべて」の中にあるものは、それを構成する「部分」の中にもあり、また、「部分」の中に存在しているものは、たったひとつの「大いなるすべて」の中にもあるのです。 : BASHAR(バシャール) 2006

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