全身が地獄に落ちるよりは、 体の一部を失うほうが、ましだからである。 : 『マタイの福音書』5章30節

全身が地獄に落ちるよりは、
体の一部を失うほうが、ましだからである。

『マタイの福音書』5章30節

以上、福田 勤 (著)『イエス・キリスト 人生に奇跡を起こす言葉―2000年間、人間の魂を磨き続けたメッセージ (知的生きかた文庫)』P.41より引用させていただきました。

同書p.43にはこうあります。

実は、一番言いたかったのは、「罪を犯した」ということよりも、「罪を犯そうとする」のを防ぐのが大事なのだということでした。

悪いことと知りつつも犯そうとする悪い習慣から抜けられない、それこそが致命的なのだと、キリストは気づかせたかったんだとか……。

気がついたのなら、その悪い部分は切り取ってしまいなさい。
小さいうちに取れるなら取ってしまいなさい。
その方が人生は豊かになるよ 。

そう、イエス・キリストは言いたかったんだとか。

その右手が罪を犯させるなら、その右手をとってしまえ!
全身が地獄に落ちるよりはましだ。

とは、かなり過激ですが、バシャールなら悪い習慣に気づいたら、もうその時点で習慣から抜けることができる。
それでもその悪いことをするのなら、ただ単に、その悪いことを自ら選んでいるだけだ、とでもなるかもしれません。

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