「その人が持っている信念や定義によって、その人がつくりだす現実が変わる」ということです。
(中略)
物理的な現実とは、あなたが「これが現実である」と思っている一番強い定義に従っているだけ、定義の産物だからです。
以上、須藤元気 (著, 編集), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 尾辻かおる (編集), 大空夢湧子 (翻訳)『バシャール スドウゲンキ』P.153より引用させていただきました。
バシャールの言っているのは、物理的なことを言っていると思うのですが、これは心理的にもあり得ると思います。
人間はみんな善人であるという定義を信じている場合と、人間はみんな悪人であるという定義を信じている場合、このどちらの定義を信じるのかという心理的な姿勢によって、その後の現実が変わってくるのは容易に想像がつきます。
たとえば道を歩いていて何かを落としてしまった。
少し離れたところで人がこちらを見ている。
人間はみんな善人という定義を持っていれば、ああ心配してこっちを見ているんだなとなりますし、人間はみんな悪人であるという定義を持っていれば、あああの人はきっと心の中で私のことを笑っているに違いないとなります。
まず大前提として、他人の心の中はわからないというのがあります。
もともと他人の心の中なんてわからないのだから、他人の心の中をどうとろうがあまり関係ありません。
他人の心の中をどうとろうが自由ということになります。
であるなら他人の心をどのようにとりますか?という話になり、すべてを中立と見て肯定的な意味づけをすれば肯定的な結果を得るというバシャールの教えに従ったほうが断然良いだろうということになります。
こういう感じで心理的な現実が変わることで実際の現実が変わるというのはあり得ると思います。
コメント