死という概念は、簡単に言うと、「意識の集中している焦点が変わる」ということです。
(中略)
人が死ぬというのは、その人の意識が肉体を超えてさらに拡大した、ということなのです。
以上、須藤元気 (著, 編集), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 尾辻かおる (編集), 大空夢湧子 (翻訳)『バシャール スドウゲンキ』P.172より引用させていただきました。
私は論理的に考えるのが好きなので、バシャールの言うことが真実であるか否かに関係なくバシャールの言うことを、おそらくそうなんだろうなと信じています。
人が死んでそれでまったくのお仕舞なら、死んだ本人は自分の死を知ることはできない。
自分の死を自分が知ることができないということは、自分にとって自分の死は存在しないと言うことです。
認識できないものは存在しているとは言えません。
とは言うものの、他人の幾多の死によって、どうやら自分が死んだ後は何もこの世に残らないらしいとは推測がつきます。
自分にとって自分の死は存在しないけど、自分の死後のこの世界は想像出来ます。
そうやって想像したとき、もし死後も自分という意識があるならラッキーだし、もし死後自分の意識がないのであれば、死後それを認識できないので、死んだ後は特に何も問題はないことになります。
だって自分がこの世に生まれる何十億年の間、自分は存在していなかった、つまり死んでいたのですから。
自分が死んでいた何十億年の間、特に何の問題もありませんでしたから、今度自分が死んでも、その後何十億年間、特に何の問題もなく時は流れていくでしょう。
死後に意識があるかどうか、どっちに転んでも、特に問題がないのであれば、生きている今の自分にとって都合のよい選択肢を選んだ方が得です。
私の論理的思考はそう結論付けました。
だから、バシャールの言うことを信じています。
その方がハッピーです。
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