すべては大いなる「空」、全体意識の計画の一部だったのです。
個としての肉体も持つ自分が、一瞬で一度にすべてを体験できないから、他の体験は他の肉体を通じて行われるのです。
以上、Mana (著) 『空 豊穣の狩人』P.56より引用させていただきました。
神意識=「空」意識=ゼロポイント=私達
は
自分を知りたくて日々の現実を創造している
体験や経験は魂に記録していく
この物理世界では、自分で経験することを叡智という
自分の意識の可能性を、現実を通じて経験していくのが「今ここ」にいる目的
しかし、私達には全体の中での役割があって、みんなが同じ経験をしても仕方がないので、いわゆるネガティブな体験をする人も出てくる。
まとめると以上のようになりますが、人それぞれに全体の中での役割があるというのが、辛いですね。(^-^;
だって世の中には、他人ではなく、自分が知りたいものが、たくさんありますから……
……と考えると、それはエゴになってしまう。
ポイントはここですよね。
バシャールの言うジグソーパズルのたとえでいくと、中央付近のジグソーパズルは色も鮮やかだし重要度も高い、それに比べて周辺部のジグソーパズルは色も地味だし、ヘタしたら単色って場合もある。
でも、どのひとつが欠けてもジグソーパズルは完成しない。
ジグソーパズルとしては、どのピースも同じ価値、同じ特別さなのだ。
しかも自分から望んでそのジグソーパズルのそのピースになった。(人間というピースはそれを忘れているが)
だとすれば、自分のピースを全うするのがベストな生き方だ。
周辺部の地味なピースが、中央付近の派手なピースを羨んでも仕方ないのは明白だ。
周辺部の地味なピースは、全体に奉仕できることを感謝し、中央部の派手なピースは、地味な周辺部のピースのおかげで自分が引き立つことを感謝すべきなのだろう。
コメント