広大な自己というものは これ以上にない快の意識に いかに多く入るかで決まる : 『タオの法則』をバシャール的に読む
広大な自己というものは
これ以上にない快の意識に
いかに多く入るかで決まる
以上、千賀 一生 (著) 『タオの法則 老子の秘儀「超」活用法 (超☆きらきら)』P.96より引用させていただきました。
じゃあ逆に自己をこわばらせ収縮させるものはなにかといえば、不安であったり恐怖であったり、あるいは意外と正義とかがんばりだったりする。
正義は快であるか?
微妙だ。
~しなくては!とがんばることは、快であるか?
これも、どうでしょう?
バシャール的な快といえば、もちろんワクワクです。
誰ともぶつかることのない、そして努力することもない、自ずと湧き出るワクワク感です。
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