聖性(Tao)の導きに 自己のすべてをゆだねる時 我なる自己は消え 人は天と一つの精霊に帰化する : 『タオの法則』をバシャール的に読む
聖性(Tao)の導きに
自己のすべてをゆだねる時
我なる自己は消え
人は天と一つの精霊に帰化する
以上、千賀 一生 (著) 『タオの法則 老子の秘儀「超」活用法 (超☆きらきら)』P.64より引用させていただきました。
同書p.65には「宇宙はスピンで成り立つ。それは、常に中心があることを意味する。中心があるとは、コマが回転による中心軸でバランスをとるように、万象が、バランス作用で成り立ち、バランス作用で息づくということだ。」とあります。
中心って点ですよね。
点って何なんでしょうね。
点がずれてしまえば、綺麗な円は描けません。
点は存在しないくらい小さければ小さいほどその機能を完璧に果たす。
ほとんど無である中心点であるからこそ、そこから生まれてくるものには、バランスが必要になってくる。
エゴはバランスを乱すのでしょう。
だからこそ、すべてを手放してゆだねたとき、バランスを取り戻すことができる。
そして本来のあるがままの万象となる。
……ということですが
ここに素朴な疑問があります。
なぜ人間だけが自然ではないのか?
なぜ人間だけが自然のバランスを乱すのか?
なぜ人間だけが自然の調和を乱すのか?
人間は自然から生まれたはず、自然で出来ているはずなのに
なぜ自然ではないのか?あるがままであろうとしないのか?
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