「これからどうなる」という質問は、自分自身が現実世界を創ることを放棄していることです。どういう現実体験であってほしいのか決めていないのです。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む
「これからどうなる」という質問は、自分自身が現実世界を創ることを放棄していることです。
その意志がないことのあらわれです。
どういう現実体験であってほしいのか決めていないのです。
以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.94より引用させていただきました。
これからどうなっていくんだろう?とか、これから私はどうしたらいいのだろう?、このどん底の状態をどうやって乗り切っていけばいいのだろう?
これらの思いは、肉体エゴ側の思考のクセだそうです。
確かにManaさんのいうように、これらの思考は、自分が現実世界を創ることを放棄しています。
自分は現実を創造していない、自分は現実をどうすることも出来ない、そういう思考が前提になっています。
じゃあ逆にどうしたら自分が現実世界を創っているのか、信じることができるのでしょう?
自分の思考が目の前ですぐに実現化すればすぐに信じることができるでしょう。
自分が何かを決めて、その後ほどなく、それが現実になったら信じることができるでしょう。
しかし、自分の過去の記録を調べてみるとかつてそのような記録はありません。
よって、そのようなことは起らないであろうとエゴは推測します。
だから、そんなこと決めても無駄。
よって、どういう現実体験であるか決めようとはしない。
ふつうはそうなりますね。
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