「自分が”ソレ”を観察している」「自分が”ソレ”に意識を向けている」と気づくと、中立な意識となって、”ソレ”をどのようにでも扱える。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

「自分が”ソレ”を観察している」「自分が”ソレ”に意識を向けている」という事実に気づくとき、あなたは中立な意識となって、”ソレ”をどのようにでも扱えます。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.38より引用させていただきました。

肉体という通路(チャネル、チャンネル)をいろんな情報が同時に過ぎている。
“ソレ”を自分が考えていると思い込むとき、”ソレ”に縛られてしまう。

しかし本当は

考えているのではなく”ソレ”を採用選択して通過させただけ。
そうやって観察して体験して”ソレ”を知りたかっただけ。

実は

私たちは考えていない。
ただ肉体を流れるあらゆる情報を観察して体感を体験しているだけ。

……とのことです。

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