この創造の中ですべてのものを自分で見ることができます。肯定的なもの、否定的なもの、全部を知ることができます。一番素晴らしいものを知ることも、一番怖いものを知ることもできます。でも自分の人生の中に現実化するものは、自分でそれを現実化しようと決断したものです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.92より引用させていただきました。
つまり現実は自分で創造している。
しかも自分で好んでこの現実になることを選択した。
これはにわかには信じられないと思います。
人間が死んでそれで終わりだと信じていれば到底信じられないと思います。
しかし魂は永遠でありその形を変えるだけであると信じられるなら、創造の中ですべてのものを見て、すべてのものを知ることができる、というのもありえる気がします。
さらに、意識と言うものが、この頭のなかで言語を使って思考している自分という意識、言語は使っていないがいくらか意識できるレベルの自分、そしてまったく意識のできていない自分、そういうレベルにまで自分の意識がつながっているのなら、表面的な意識では望んでいなくても、全体の意識としてはそれを望んでいたというのもありえる気がします。
つまり、現実化の決断は、過去世も含めた自分の意識の全体で決められるものだと思うのです。
だから一見自分の欲していないような現実をも選択してしまうのでしょう。
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