自分がなりたい個人になることによって、他とつながってひとつになることができます。
すべての部分が一番強くなれるだけ強くなったとき、全体がその強さになることができます。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある 』64ページより引用させていただきました。
さて言っていることは素晴らしいことなのですが、未だに何を言っているか理解できていません。
おそらくここで言うひとつというのは自分が創っているひとつの現実という意味なんだと思います。
それはバシャールが常にこの現実は夢であると言っているからです。
だとすると各人が創造している夢はもともとひとつなのだから、夢の中の自分が夢の中の他とひとつになることに何の価値があるのか?と思ってしまいます。
ただ単に気づきの問題なのでしょうか。
あるいは自分の創造している現実がなくなっても他人の創造している現実がなくならないのは事実なので、ある意味現実というものは並行して存在しており、その並行した他人の創造している現実とつながってひとつになるという意味なのかもしれません。
そういう感じで書いてある部分も他の本ではありました。
おのおのが創造している現実はその内部が一見バラバラに見えてもひとつにつながっているし、それらのおのおのの現実同士もまた一見バラバラに見えてもひとつにつながっている、ということなのかもしれません。
引用した文章で述べている、自分と他とは、自分の夢の中の自分と他の関係なのか、自分の夢の中の自分と他の多くの人の夢の中の他人との関係なのかが、わかりません。
自分の夢の中だけで完結しているのか、他人の創造している多くの夢との関わり合いがあって初めて完結する話なのか、ということです。
あるいはそのどっちもがそうなのかもしれません。
自分の夢はひとつだし、同時に他人の夢とも、ひとつなのかも知れません。
自分の夢も他人の見る夢もすべてはひとつということなのかも知れません。
自分の夢の中の自分と他人はもうすでにひとつであるので、「ひとつになることができる」という引用部分の表現には違和感があります。
なのでおそらく、自分の夢と他人の夢、つまり自分の創造している現実と他人が創造している並行した現実、がひとつになるという意味なのでしょう。
だとすると、「すべての部分が一番強くなれるだけ強くなったとき、全体がその強さになることができます」の意味が明確になります。
コメント