すべての感情は、あなたが信じている先入観念、固定観念に対する反応です。感情は、あなたが何を信じているか、どんな先入観念を持っているか教えてくれています。

すべての感情というのは、もうすでにこれが真実であるとあなたが信じている先入観念、固定観念に対する反応なのです。
感情が出てきたら、それは、あなたが何を信じているか、どんな先入観念を持っているかを教えてくれています。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある』77-78ページより引用させていただきました。

以前の記事では、観念は心に抱くイメージで、想念は心に抱く思考ではないかと考えました。
だとすれば感情は頭に抱くイメージを現実として感じるから抱くものとは言えないだろうか。
頭の中で想像して、その想像の世界での実際の体験に対する反応が感情では?
そう信じているから、そういう先入観念や固定観念があるから、そういう想像をしてしまう。そしてその想像に対して感情を抱いてしまう。

すべての感情は自分が描く想像、イメージに対する反応だと仮定してみる。
馬に乗る想像してみる。楽しいという感情が私の場合は湧く。
イメージではなく実際に馬に乗った時、どんな感情だろう?
それは実際に馬に乗ってみないことには不明。
実際に馬に乗るということは、何が真実であるかの探求や先入観念、固定観念とは無縁だ。
だってそこには馬に乗っている自分という唯一の事実(真実)があるのみだから。
ゆえに他にイメージも抱きようがない。

実際に馬に乗って体全体にあたる風を感じて気持ちがいいと思ったら、その気持ちがいいというのは感情だろうか?だとしたら何を信じているから気持ちがいいと感じた?そもそも感情とはなに?
馬に乗って風を浴びて気持ちがいいから楽しいという感情が生まれた?
その場合楽しいという感情を抱く為には、何が真実であると自分は信じていたのだろう?
ただ単に肉体の快感は楽しい?

馬に乗って風を切っている自分を想像すると楽しいけど、実際はそうでもないかもしれない。
馬に乗って風を切るのは楽しいはずだと信じているから、楽しいという感情にいまなれる。
でも実際馬が暴れ馬でそれどころじゃなかったら、全然楽しくないだろう現実になるはず。

あるがままの現実というのは唯一の真実であり、それをどうのこうのといじることはできない。
どうのこうのといじることのできないありのままの現実は中立と言える。
中立に対して感情は抱きようがない。だって中立なんだから。
しかし、その中立に対して様々な想像をしたとたんに、頭の中で想像上の体験をいろいろした時に、その反応として感情が生まれる?そもそも最初にこうであるはずと信じるから想像が可能だという事実がある。こういうことが可能かもしれないと信じるから想像できる。しかし現実にはまったくあり得ないことも想像は可能だ。だとするとイメージすることと、想像することと、先入観念や固定観念は必ずしもリンクはしていない。別に信じていなくてもイメージすることはできる。

だとすると観念はイメージではないかという私の仮定が崩れる。
しかし、想像できるものはどこかに必ず存在しているというバシャールの言葉を適用すれば、、、
どこかに必ず存在していると信じているからすべてのものを想像ができる、、、とも言えそうです。

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