疑いや不安は、真実の自分とつながっているときには持ち得ない感情です。
ですから、そういったネガティブな感情を持つこと自体が、そもそも、あなたが真実の自分からずれた観念を持っているということを端的に表しているのです。したがって、それらの感情に対処するためには、自分で自分に聞けばいいのです。「この感情を持つために、自分はどんな観念を持っていなければならないか」と。そうやって、自分に聞き、ひとつひとつ理解していけばいいのです。
自分がどんな観念を抱いているか、感情を使って探り当てることができます。
観念が見つけられれば、その性質や構造を理解することで、それを変容させることができるのです。その後、観念を新しくすれば、自ずと感情も変わります。
以上、本田 健 (著), ダリル・アンカ (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる! バシャール 本田健』P.57-58より引用させていただきました。
まず前提としてバシャールが言うには、ポジティブなもの、ネガティブなもの、どんな感情でも、すべての感情は、まず自分が信じ込んでいることから生まれるとのこと。
最初に観念がなければ、感情は生まれない。
観念とは、「感情をつくるもの」と定義できる。
(最近考えていることだが、バイブレーションがフィーリングとほぼ同じものなら、すべてのもものはフィーリングから出来ているのではないだろうか?と最近思い始めています。だからすべてのものには感情がある。感情によって世界は誕生した?そんな風に考え始めています。)
感情は、「自分と人生、自分と創造主との関係はこうに違いない」と信じている思い込みから、直接生まれてくる。(同書P.57)
……とバシャールの言葉があり、そして今回引用した部分へとつながっていきます。
それではさっそく、自分自身のネガティブな感情を使って、バシャールを実践してみたいと思います。
さて私はツイッターのタイムラインにバシャールに対する否定的なものあるいは明らかな間違いを認めて、ネガティブな感情を持ちました。
しかしおそらく私自身が真実の自分とつながっているなら、このようなネガティブな感情は持たなかったのでしょう。
ネガティブな感情は、真実の自分からずれた観念を持っているということを端的に表しているからです。
さて、私はどんな観念を持って気持ちがネガティブになったのか、見ていきましょう。
ツイッターのタイムラインに、明らかにバシャールに対するネガティブなツイートを見た時、私の観念は、「嫌いなものイヤなものは見なければ良いのに、そしてわざわざイヤなものをイヤとここに書くべきではない」と考えました。
私の正義に照らし合わせて間違っていることが、タイムライン上で行われていることが、腹立たしかったのです。
つまり私は他人も私の正義に合わせるべきであるという観念を持っていたために、そうでない他人を見てネガティブな感情を抱いてしまったということがわかります。私は他人を変えようとしたのです。
他人を変えることはできない、変えることができるのは自分だけである、とはいつもバシャールが言っていることです。
この場合、私が、他人も私の正義に合わせるべきであるという観念(他人に変わることを要求する観念)を、バシャールの言うような以下の観念に変えたので、ネガティブな感情も消えました。
同書P.55を再び引用します。
相手に対して「こんなふうに変われますよ」と、愛をもって提案することはできます。しかし、相手を変えることはできません。
相手が「変わらない選択」をすることを許し、相手を無条件に愛することしかできません。
(中略)
あなたにできることは、情熱にしたがって生き続けることだけです。
つまり、「あなた自身が自分の人生に責任ある対応をする」ということです。
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