物理的な現実は幻想である。
この言葉はスピリチュアルな展開で述べられても、大学の講義で述べられても、ちゃんと深い意味を持ちますね。
スピリチュアルな意味合いで物理的な現実は幻想であると言えば、それは現実は夢のようであるとなり、一般的な常識の範囲で述べられた場合には、人間は決して現実をありのままには見ていない、となると思います。
たとえばK-POPの少女時代です。
私は最初彼女達を動画の中で誰が誰なのか判別することができませんでした。
しばらく名前と顔が一致しなかったのです。
しかしだんだん名前と顔が一致しだし、現在は却って間違える方が困難です。
もし人間が物事をありのままに見ているのなら、これはおかしな話です。
ありのままに見ているのなら、最初から名前が判別できるはずです。
ありのままに見ているのなら、永遠に名前の判別は不可能なはずです。
同じものを見ていたはずなのに、私の現実の中で、「少女時代」は変化を続けた。
と、そういうことですよね。
「少女時代」は変わらなかったが、「少女時代」に対する私の見方が、あるいは少女時代とはこういうものだと信じる傾向が変わったので、私の現実の中で「少女時代」は顔と名前の判別が困難であった存在から顔と名前が判別可能な存在へと変わったのです。
時の流れと共に変わったのは「少女時代」ではなく、私の信じる現実の方でした。
自分が体験する物理的な現象というのは、あなたが何を信じるかによって決まります。というのは、物理的な現実というのは幻想だからです。あなたが信じていることが創り出した幻想なのです。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)』P.20より引用させていただきました。
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