たくさんの人達が自分のことを「犠牲者」だと思っています。
人のものを全部背負って、次から次へと人間関係を渡り歩きます。
そして自分はどこかおかしいに違いない、と思い込み始めるのです。そういった人の人間関係には、「自分はなにかが間違った人間だ」ということが反映されます。人間関係は、自分の中の、完全でないと思い込んでいる部分を反映して見せてくれるのです。
ということは同時に、自分がその部分を変えられるということです。
以上、Darryl Anka (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈4〉ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある。 (VOICE新書)』P.206より引用させていただきました。
自分が完全でないと思っていると、同じような考えをもった人をひきつける。
自分の理想には足りない人が現れ、その人にひきつけられ「あなたは自分のことを完璧でないと思い込んでいますよ」と教えられる。(同書P.206)
その結果、自分のことを犠牲者だと思い込むってことなのでしょうか?
そうも取れますが、実際はどうなのかわかりません。
引用した文章の前の方を読むと、そう取れます。
自分は完全ではないと思い込んでいるから、その思い込みどおりの人を周りに引き寄せて、そのことは「あなたは完璧ではないと思い込んでいますよ」と教えてくれるのだが、その思い込みの方ではなく、完璧でない部分そのものを見てしまうので、自分はおかしいと思い込み始めるのでしょうね。
人間は本来は完全な存在であり、完全でないと思うのは、思い込みに過ぎないってことですね。
人間関係において、なにかネガティブな事があっても、ただ単にそれは自分の中の完全でないと思っている部分を反映しているだけであって、それによって自分を責める必要はなく、それが嫌なら、ただ単にその部分を変えればいいだけなんですね。
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