静寂に気づいた、心が研ぎ澄まされた状態は、いうなれば、「わたしが在る」状態で、何千年ものあいだ人類を束縛してきた、集合意識という檻の外へと、一歩足を踏み出したことになる。 : 世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え

静寂に気づくようになると、それは、心が研ぎ澄まされた状態であることに気づくはずです。これは、いうなれば、「わたしが在る」状態です。あなたは、何千年ものあいだ人類を束縛してきた、集合意識という檻の外へと、ついに一歩足を踏み出したのです。

エックハルト トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳)『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』P.17より引用させていただきました。

バシャールにはこんな言葉があります。

すべての状況、すべてのものは、基本的には「中立」です。どんな状況も、その中に決まった意味は持っていません。どんな状況も、自然に最初から否定的だとか肯定的だとか決まってはいないのです。 by バシャール

とは、言っても

みなさんがつくりだしたあらゆる物理的なもの、どんな物質にも状況にも自分自身の意味づけをすることができるのですが、一方で、それらはみなさんの集合意識の意味づけから来る特定の周波数をすでに持っているのです。 by バシャール

なので、すべての状況、すべてのものは、基本的には「中立」であるが、その一方で、集合意識から来る意味づけがすでになされている、となります。

このバシャールの言う集合意識から来る意味づけと言うのは、この宇宙を一種のオンラインゲームだと考えると、ゲームを成り立たせるためのソフトウェアのようなものだと考えられます。

はじめからすべてが中立であれば、ゲームとしては、何も始まらないからです。
ある程度の要素、引力だとか、同じ物体は同時に同じ場所に存在できないだとか、男性と女性だとか、昼と夜だとか、その他もろもろのある程度の要素が決まっていないと、ゲームを始めることができません。

しかし、そのような最小限の集合意識から来る意味づけ以外にも、後で付け足した集合意識が存在し、それによって逆に私達が縛られるようになってしまった。

それは、固定観念であったり、偏見であったり、常識であったり、するのでしょう。
これらにこだわり過ぎると、今度は逆に、これらに制限されてしまう。

でも静寂に気づくことによってそれらの後から付け足した余分な集合意識の意味づけから解放される、とそう言うことだと思います。

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