私達はみな「大いなるすべて」のさまざまな表現の一形態であるということです。
みなさんは、ひとつの創造の意識、自分自身でもある「大いなるすべて」の表現なのです。
どのような形の肉体をもっていようと、各々の存在は、このひとつの宇宙意識が自分自身をいろいろな表現方法で映し出す「鏡」なのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.211-212より引用させていただきました。
これはあれですね。
このブログでは毎度おなじみのテレビドラマ「泣くな、はらちゃん」を使って考えてみると面白いですね。
「大いなるすべて」は漫画家です。
みなさんであるところの私達は、漫画の中の様々なキャラクターです。
私達、漫画の中のキャラクターにとって、「大いなるすべて」である漫画家は、神様です。
そして、どんなに漫画の中のキャラクターが増えようが、その世界がバラエティー豊かであろうが、それはたった一人の漫画家の頭から生まれています。
そして、ひとつの漫画の中であっても、そこにはどんなことでも描くことが可能です。
ひとつの漫画の中に、人間が出ようが、話すことのできる動物が出ようが、宇宙人が出ようが、怪物が出ようが、美人が出ようが、タイムトラベルしようが、テレポートしようが、時間が逆に流れようが、想像できることはすべて漫画にすることができます。
でも、それらもたった一人の漫画家の頭の中から出ています。
どんなに時間的空間的に膨大な世界で、どんなに多くのキャラクターが登場しようが、それらはすべて漫画家の頭の中ではつながっています。つまりすべてはひとつなのです。そしてひとつからすべてが生まれているのです。