「思考」と「もの」の間に分離はありません。
思考と物質とどちらが重要かという問題でもありません。
思考とは、物質そのものです。
そして物質とは、思考そのものなのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.129より引用させていただきました。
昨日ブログを書いていて閃いた分離とは、
そうであるならば、「病気にはなりたくない」と同じ意味である「健康である」をイメージしてはどうでしょう?
この両者は否定形と肯定形の違いはあれ、まったく同じ意味です。
しかし、そこから出てくる波動はまったく逆です。
……
意味としては同じなのに発するものは逆
その原因は、イメージの世界には否定形が存在しないから逆に言えば、思考の世界では
それとは逆のものを引き合いに出して、それを説明することが可能である
(この時、思考とは逆のものをイメージさせる、思考とイメージは逆のものを指している、でも意味は同じ。これが分離?)
なんですが
本来は、病気と健康があると思うのですが、思考が「健康」と言う代わりに「病気にはなりたくない」という幻想であるところの否定形を編み出してしまった。マイナス記号のついた病気というのはイメージの中では存在できません。
「病気にはなりたくない」というマイナス記号のついた病気は、イメージの中では、マイナス記号の取れたただの病気であり、想像が創造だとすると、マイナス記号のついた病気は、病気を創造してしまうことになる。
思考ではマイナス記号のついた病気=健康であるが、イメージの中ではマイナス記号のついた病気=病気である。
これを思考による、同じひとつのものである「病気」が分離したとは言えないだろうか?
昨日はそう思った。
しかし、バシャールがここで言っている分離は、「思考」と「もの」の間に存在する分離である。
う~んという感じだ。
昨日の私の考えは間違っているのか?
いや、ただ単に見方の違いか?
そう思うのだが……。
いや、いいのか?
本来、思考とものはひとつ。
思考が病気といえば、病気と病気はひとつだ。
実際の病気と思考で言う病気は同じ。
でも、思考が病気にはなりたくないという時の病気は、マイナス記号のついた病気であり、本当は健康のことだ。
思考は健康を考えているが、イメージ上はマイナス記号の取れた病気をイメージしている。
思考は健康を考えているが、イメージ上は病気をイメージし、病気の波動を発することになる。
まさにこれは「思考」と「もの」との分離ではないか?
思考は健康だが、ものは病気である。
健康を思考しているが、発しているもの(波動)は病気である。
これが思考とものとの分離?