過去には、疑いを「信頼の欠如」としてみていたかも知れません。
しかし、私達が選択する新しい定義づけでは、疑いとは「信頼を否定的な方向に持ったもの」なのです。
その無限の信頼を、肯定的なほうに使うかどうかは、あなたの選択です。
以上、Darryl Anka (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈4〉ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある。 (VOICE新書)』P.114より引用させていただきました。
疑いを信頼の欠如と見ると、それはネガティブになりますね。
信頼がない状態ですから。
これだと能力の問題になってしまいます。
信頼する能力がないから信じることができないんだ、ということになってしまいます。
でも、今までは否定的なものを信頼してきたから、今度は肯定的な方を信じてみようと言うなら、信頼の能力の有無というのは関係ないです。どっちを選択するか、その選択の問題になります。
すべては中立……ならば、あとは私たちの持っている無限の信頼を肯定的な方に使えばいいだけのようです。
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