みなさんが体験していると思っていることは、自分自身で創りあげていることなのです。
自分自身が「ユニークだ」と思っている部分、他の人と違う人生を歩んでいる部分は、自分が創りあげているものです。
みなさんの肉体的な現実は、自分の思考が拡張されて生まれてきたものです。
考えたものが結晶化して「現実」となります。
この現実世界、肉体的なレベルは、みなさんが創りあげています。
あなたがそれ自身なのです。
以上、Darryl Anka (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈4〉ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある。 (VOICE新書)』P.47より引用させていただきました。
引用した部分の前半を読むと、自分が創っているのは、自分自身に特有の部分だけともとれますが、それだと今までバシャールが言っていた、私たちは宇宙の創造主というのと少し違ってきますね。
そうか……。
私たちのうちの誰かが、この現実世界を去っても、この現実世界は残っていますよね。
でも、その現実世界を去ったその人も、その人の現実世界を創造していたはずです。
そしてもし、その人が現実世界を去る前に偉大なことをしていた場合、その記憶や痕跡は、この現実世界に残ります。しかし、その人のユニークだと思われる部分そのものは、残りません。
自分自身の現実を作り出しているのは私たち自身で、物理的に体験しているものも、それを創り出しているのは、私たち自身です。
しかし、だからと言って、私たちがこの現実を去っても、現実は消えないで残っている……。
ちょっと不思議な気がします。
ここでちょっと思考実験をしてみます。
地球の自分が住んでいる地域の裏側くらいに誰かの家がありその子供が人形をもっていたとします。
でもそのことを自分が一切知らない場合、その人形はこの現実世界に存在しないのでしょうか?いや存在していますよね。
実際、自分の腰かけている椅子は絶対この世界に存在しています。
ですが、この椅子の事を全く知らない人は、この地球上に何十億人もいます。
その何十億人もの人も個々に、無意識のうちに、この私の座っている椅子も創造しているのでしょうか? そうでないと論理的におかしい気もします。今までバシャールが言っていたことと整合性がない気がします。
そもそも、この座っている椅子は私が創造しているはずですが、実際に椅子を作った人々は他に存在しています。私は無からこの椅子を作ったのではないからです。わたしは椅子を買って来てここに置いてそして坐っています。
……と、思考でいくと、論理的にちぐはぐになってしまいます。
でも、なんとなく感じとしてはバシャールの言う世界はわかります。
あり得るような気がします。
でも完全には理解できていません。
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