みなさんの人生が、痛みや苦しみ、疲れによって満たされているとき、それは本来の自分自身以外の人間に一生懸命なろうとするところからやってきています。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある (VOICE新書)』P.21より引用させていただきました。
自然な自分にならないよう抵抗する時、すべての苦しみ、痛みがやってくる。
メンタルな、意識的な、理知的な痛み、精神的な痛み、感情的な痛み、肉体的な痛み、すべての痛みはそこから来ているとバシャールは言います。
私達の自然な部分は、創造の中に完璧に定着している。
「創造」はまったく区切られていない百パーセント均一なものなので、自分と他人は別の人間ではない、自分と他人はひとつのものである。
……ということで
本来の自分自身が何なのか?
そこがポイントになりますが、本来の自分自身が愛であるとか光であるとか何時もワクワクしている自分であるとか、自分と他人はひとつであると言われても、本人である自分がそれに違和感を感じてしまえば、本来の自分自身はどこに行ったんだ?となります。
たとえ本来の自分自身というものがちゃんと存在していても、今現在の心理状態が、それを本来の自分自身だと信じることが出来なければ、あまり意味がない気がします。
その本来の自分自身を本来の自分自身だとハッキリわかるまでは、本当の本来の自分自身にはなれないように思います。