あなたという「空」意識、それは純粋なる”自覚”のことであり、たんなる認識感覚のことです。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

あなたという「空」意識、それは純粋なる”自覚”のことであり、たんなる認識感覚のことです。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

あなたという「空」意識、それは純粋なる”自覚”のことであり、たんなる認識感覚のことです。
たんなる存在する感覚のことにすぎません。
存在する自覚をもって、すべての現象を観察する意識のことなのです。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.77より引用させていただきました。

かえってわかり難いかもしれませんが、オンラインゲームのセカンドライフを例に考えてみると……

私はセカンドライフ内のアバターではない。
アバターを操作しているプレイヤーではあるが、私はアバターそのものではない。

セカンドライフ内で他のプレイヤーと関わりを持ち、喜びから憎しみまで様々な感情をともなう経験をしたとき、それは紛れもなく”私の”体験である。

抱いた喜びも憎しみもバーチャルなものではなくリアルなものであった。
仮想空間でゲームをプレイして、他のプレイヤーとの関わりで抱く感情は決して仮想の感情ではなくリアルな感情である。

そして、この「リアルな感情」が欲しいから”私は”はこのゲームをプレイしているのだ。

もしセカンドライフというオンラインゲームにおいて、プレイヤーである”私が”なんのリアルな感情も抱かなければ、つまらないゲームと認識して、別のオンラインゲームに移っていくだろう。

オンラインゲームのセカンドライフにおける”私”とは……

ゲームのいちプレイヤーとしてゲームをプレイして
それを観察し、そしてそこから得られる様々な感覚を楽しんでいる
自覚意識に過ぎない


MIL30015

MIL30012

コメント

タイトルとURLをコピーしました