「無条件の愛」だけが唯一「本当の現実(リアル)」。いわゆる「現実」はそれを解釈した「現実の経験」にすぎない : バシャールの学校 – BASHAR2006(バシャール2006)より
「大いなるすべて」の波動――平和や喜び、バランス、ハーモニー、情熱、これらはみなさんが「無条件の愛」と呼んでいるものの波動、エネルギーです。
そして実は、みなさんがふだん「現実」と呼んでいるものは「現実」そのものではないのです。
唯一、本当にリアルな現実、「本当の現実」とは、この「無条件の愛」の波動のことです。
そして、みなさんが「現実」と思っているものは「現実の経験」でしかないのです。
「無条件の愛」だけが唯一リアルなもの。
みなさんは、それを自分の持っている観念によってさまざまに経験しているにすぎず、その経験を「現実」と呼んでいるのです。
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR2006(バシャール2006)―バシャールが語る魂のブループリント』P.31-32より引用させていただきました。
唯一のリアルは「無条件の愛」の波動、エネルギー。
平和や喜び、バランス、ハーモニー、情熱などのフィーリングが唯一のリアル。
私たちがリアルだと思っている世界は実は仮想の世界、バーチャルな世界。
「無条件の愛」を観念(思考や言葉)によってバーチャルに経験しているに過ぎない。
唯一のリアルである「無条件の愛」は、無条件で制限が一切ないので、自分が持ったとおりの観念をバーチャルに経験することになる。
例 「自分は愛されていない」(観念) → 「愛されていない」という仮想経験が可能。
痛みや苦しみ、死までも無条件の愛によって許容されている。
……とのことですが、この波動というのが私はどうもイメージしにくいです。アンフィニのあやこさんは波動すなわちバイブレーションをフィーリングと表現する場合があり、どうも私は、波動よりフィーリングと表現するほうがイメージしやすいです。
ですので、さきほど
平和や喜び、バランス、ハーモニー、情熱などのフィーリングが唯一のリアル。
と、表現してみたのです。
唯一、本当にリアルな現実、「本当の現実」とは、この「無条件の愛」のフィーリング、とも言えますね。
たったひとつのリアルな現実とは無条件の愛(平和や喜び、バランス、ハーモニー、情熱など)のフィーリングである。
となって、私にとってはこれが理解しやすいしイメージしやすい表現です。
(宿題:観念がこの仮想現実を創っているというのがハッキリイメージ出来ない。
また仮想現実での経験もまたバーチャルなものであろうから、肉体の感覚も本来幻想なのだろうか。
痛み、苦しみ、死までも物の見方=観念によって創られた幻想だと信じるのは今のところ難しい……と意味づけするから難しいのか?)
また、この「『現実』と思っているものは『現実の経験』でしかない」というのは、言葉を変えれば「現実」と思っている現実は存在しないということですよね。単なる経験に過ぎない。この「経験」を「データの通過」と考えれば、「空」のManaさんの考えともつながっていく気がします。
映画を観るのは、リアルな経験ではなく、映画を観たという経験に過ぎない、映画という映像と音声データが過ぎて行ったに過ぎない、ということだと思います。
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