どんな人も、ひとり残らず全員が宇宙全体に「違い」を創り出します。
どんな人が行なうことも、すべてひとつ残らず新しい宇宙を創り出します。
なぜなら、いかなる変化もすべての変化になるからです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 北村麻紀 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック7―ワクワクとは、あなたの魂に打たれた刻印である (VOICE新書)』P.234より引用させていただきました。
宇宙がホログラフィーのようなもので、宇宙のどの一点をとっても、そこには全宇宙が存在しているのなら、どんな小さな変化だって全宇宙にその影響が及ぶ気がします。
でも、もし自分のパラレル・ワールドの中で、見かけ上他人が変化した場合はどうなるのだろう?
他人のちょっとした変化も、自分のパラレル・ワールドに違いを生むのだろうか。
そもそもパラレル・ワールドは、映画のフィルムの一コマと同じなので、パラレル・ワールドそれ自体は完璧に静止している。そのパラレル・ワールドの中では変化しない。別の違いのあるパラレル・ワールドに移行することで、変化があったと感じるだけだ。
物理的現実は毎瞬毎瞬、テレビのブラウン管のようにリセットされてゼロからすべてが書き換えられている。
パラパラマンガのように連続して切れ目なく再生されているからスムーズに現実のように動いて見えるだけで、実際には何ひとつ動いてはいない。そこにあるのは、ただただ無限の静止画だけ。
この物理的現実には静止画しか存在しないのだから、ほんの少ししか違わない物理的現実を表現するにはほとんど同じだがほんの少しだけ違う静止画を用意しなくてはならない。そうでないと変化と感じることはできない。時間と空間が先に進まない。静止画のほんの少しだけを変えることはできない。できたとしたらもうその静止画は前の静止画ではなく別の静止画ということになる。
2014.11.4追記
映画フィルムの一コマ(宇宙全体)の中で目に見えないほどの小さな小さな変化を引き起こしたとしても、それは新しい別の一コマへのシフトを意味する。
逆に言えば、映画のフィルムの一コマ内でのどんな小さな変化でも、フィルムの一コマであるところの宇宙全体を変えたことになる。
一コマ内のいかなる変化も、それはフィルムの一コマ全体(宇宙全体)を変える変化となる。
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