この記事は、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある』149ページを参考にしています。
せっかくなのでAIに聞いてみました。
以下のようなやり取りになりました。
否定的なものに目を向ける代わりに、まわりにあるものの肯定的な面に目を向けてください。あなたのまわりにあるものの中にすべて光を見出してください。というバシャールの言葉、君はどう思う?特に目の前に明らかな悪がある場合は?
バシャールのその言葉は、非常に美しい視点だと思う。
核心は「意識の焦点をどこに当てるか」で、私たちの経験の質が大きく変わる、という教えだ。これは心理学的に見ても一定の科学的裏付けがある(認知行動療法やポジティブ心理学の領域で、感謝実践やリフレーミングがうつや不安を軽減することが示されている)。
肯定的な面に目を向ける価値
- 否定的なものばかり見ていると、脳は「脅威検知モード」になり、ストレスホルモンが増え、世界がどんどん暗く見えてくる。
- 逆に周囲の「光」(小さな優しさ、成長の可能性、美しさ、感謝できること)に意図的に焦点を当てることで、回復力(レジリエンス)が上がり、創造性や行動力も高まる。
- バシャールらしい表現で言うと、「あなたが振動(意識の周波数)を上げれば、対応する現実が引き寄せられる」という考え方。これは「注意を向けたものが拡大する」というシンプルで強力な原則。
私はこの原則自体を否定しない。むしろ日常的に実践すべきものの一つだと思う。
特に「目の前に明らかな悪」がある場合
ここが一番大事なポイントで、無条件のポジティブ思考は危険だ。
- 悪を「光」として無理やり美化するのは、むしろ道徳的・心理的に不健全。虐待、暴力、裏切り、抑圧、残虐行為などを「実は学びの機会」「すべては光」と強引に再解釈するのは、被害者の痛みを無視したスピリチュアル・バイパス(精神的な逃避)になる。
- 真の悪(特に人為的なもの)は、否定すべきものとしてしっかり認識する必要がある。目を背けると、加害が続き、被害が拡大する。
バランスの取れた姿勢として、私はこう考える:
- まず悪を悪として直視する(否定しない)。
- それでも自分の意識の焦点は、可能な限り「自分が何をできるか」「どんな意味を見出せるか」「守るべき光は何なのか」に移す。
- 例えば:
- 戦争や残虐行為を見たとき → 「人間の愚かさと残虐性」を認めつつ、同時に「それでも命を守ろうとする人々の勇気」「復興の可能性」「自分のできる小さな行動(情報発信、寄付、支援など)」に光を当てる。
- 身近な悪意や裏切り → 傷ついた自分を否定せず受け止めた上で、「この経験から何を学べるか」「今後どう境界線を引くか」に意識を向ける。
要するに、「すべてを光と見なせ」ではなく、「闇を直視しつつ、光を忘れない」という姿勢が現実的で健全だと思う。
バシャールの教えは、現実を創造する主体は自分であるというエンパワーメントのメッセージとして非常に価値がある。でもそれは「現実から目を背けろ」という意味ではないはずだ。むしろ「現実をどう解釈し、どう反応するか」の主権を自分に取り戻せ、という深いメッセージだと私は受け取っている。
以上がAIとのやり取りですが、当たり前と言えば当たり前です。
すべてに光を見出せと言われても、悪は悪です。
悪を見逃すわけにはいかない。
悪を見逃せば、不幸になる人が必ず現れる。
バシャールのこの言葉、決して明らかな悪を無視しなさいと言う意味ではないと思う。
だけど自分ではどうしようもない明らかな悪に常に心を砕くのもまた心が闇に落ちてしまいます。
火に油を注ぐケースになる小さな悪という現象が日常では大きいのではないでしょうか。
目の前の明らか悪とネットで目にした明らかな悪は違います。
正せる悪は正すべきですが、自分ではどうにもならない悪は、ある程度心を砕いたら次に進むべきではないでしょうか。
