許しとは、言い換えれば、起こったことを個人的にとって自分のせいだと思い詰めないこと、そして、自分を責めないということです。
(中略)
許しとは、「パーソナルにとらないこと」、そして、「批判をゆるめること」です。
だからといって、相手の責任がなくなるわけではなく、その人は自分自身を修復する方法を自分で見つけなければならないのです。
以上、本田 健 (著), ダリル・アンカ (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる! バシャール 本田健』P.154、158より引用させていただきました。
許すからといって、行為に対する相手の責任がなくなるわけではありません。「責任」と「許し」は別のものだそうです。
許しとは、「その状況を正しく理解する」という行為であり、「その状況に対する判断をゆるめる」ということだそうです。
誰かを虐待する人、誰かにネガティブな行為をとる人がいた場合、その人は地震で床に落ちて粉々になったティーポットに譬えることができるそうです。
その「壊れたティーポット」とやりとりするとき、すなわち、そのかけらを拾おうとした時、とがったかけらで指を切るかもしれません。しかしそれはあなたのせいではありません。
「壊れたティーポットに触れると、ときどき指を切る」というそれだけの話であり、壊れたティーポットは修理できるかもしれないし、できないかもしれない、ただそれだけの話しだそうです。
この状況はあなたのせいではないので、個人的にとらえる必要はないということです。
そこで、みなさんに、これまでにない、スピリチュアルな習慣を提案します。それは、「心に浮かぶ思考を、あまり真剣に受け止めないこと」です。 : 世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え
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