みなさんは自分が望むだけの暗闇を経験することを、光によって許容されているのです。
それは、光は知っているからです。
「対照となる闇が存在しなければ、誰も光を光として認識できない」ということを……。
ですから、光は闇をも無条件に愛しています。
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.37-38より引用させていただきました。
このことを、私は映画やドラマを観ていて、そう思います。
悪役がいないと、映画やドラマは成り立たないからです。
映画やドラマは、善や正義をうったえますが、その対照となる悪を描かないことには、善や正義がどういうものなのかうまく伝えることが出来ないのです。
善や正義をうったえる映画やドラマをつくるとき、善人しか登場しない映画やドラマはふつう作りません。映画やドラマとして、うったえる力が弱いからです。それはあたかも環境ビデオのようになってしまうからです。
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