落ち込むということを、みなさんは否定的にとらえています。
ですから否定的な結果が出てきます。
私は「ディプレッション(落ち込み)」と呼ぶ代わりに「コンプレッション(押し込み)」と呼ぶのですが、人は自分でなにか質問があるとき、答えを外に見出せないとき、内へと入っていきます。
自分自身の中で新しい定義づけを見つけようと、自分の意識の中に入ります。
普段と違うエネルギーの質なのですが、それを否定的だとレッテルを貼る必要はないのです。
否定的なレッテルを貼ったとき、本当に落ち込みます。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳)『バシャールペーパーバック〈5〉望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること。 (VOICE新書)』P.90-91より引用させていただきました。
私が落ち込むときは、何かネガティブなことがあったときとか、未来に希望が見出せなくなったとき、ものごとがうまくいかないときです。
そういうときどういう質問があるのだろう?
どうしてこのようなネガティブなことが起こったのだろう?
どうしてあの人はこのようなネガティブなことをしたのだろう?
どうしたらこの嫌な気分を変えることができますか?
どうしたら未来に希望を見出せるようになりますか?
どうやったらうまくいくのだろう?
……と、質問に答えが見出せないとき落ち込むかもしれません。
答えが外に見出せないと、内へと入っていく……
外に答えが見出せないなら、普通は内にも答えは見つかりません。
外は外、内は内という考え方が普通だからです。
外側=物質的世界が変わらないかぎり、問題は解決しないと普通は思います。
しかし、物質的世界が内なる心の投影、鏡に映った自分の心に過ぎないとすれば、自分の内に答えが見出せそうな気がします。
自分の中に答えを見出そうとする行為が落ち込みであるのなら、自分の中に答えが見つかれば、落ち込まないのかもしれません。そして、実際自分の中に答えがあるのです。
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