無限個の地球があると思ってください。
そして、その無限個ある地球のひとつひとつに、あなたがいます。
それぞれの地球に存在する台本は、今、あなたがこの地球で持っている台本とは違います。
非常に広範囲にわたってさまざまな違いがあります。
あるものは、とても違いが見出せないくらいの些細な違いかもしれません。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.239より引用させていただきました。
もしパラレル・ワールドが存在するとして、その違いが、いまここで
「あ」と書くパラレル・ワールドと「い」と書くパラレル・ワールドの違いくらいしかないとき
あるいは、3年前に、家の外に出たときに、ブルーの運動靴を履いて外に出たパラレル・ワールドと黒の運動靴を履いて外に出た、たったそれだけの違いしか存在しないパラレル・ワールドが存在したとして
だとしたら、そのほんの少しの違いしかないパラレル・ワールドに住んでいる自分も、きっとほんの少しの違いしかないだろう。
ほとんど同じ自分がいるパラレル・ワールドの存在価値ってなんなんだろう?
第2次世界大戦で日本が勝ったパラレル・ワールドも、3年前に履いた靴の色だけが違うパラレル・ワールドも、どちらもきっと同じ価値なのだろう。そこに価値の違いは存在しない。中立で意味のない世界だ。
自分がそこに大いなる価値を認めたときだけ、自分にとっての価値が生まれる。
第2次世界大戦で日本が勝ったパラレル・ワールドに、大いなる価値が生まれる。