それを見て変えたければ、変えることができます。
自分の中の定義づけを変えることによって変えられるのです。
現実というのは、自動的なフィードバックシステムとして働いています。
自分が今本当に欲しいと思っているものを全部反映して見せてくれています。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書) 』137ページより引用させていただきました。
たとえそれが嫌なこと、悪いこと、否定的なこと、であってもそれらは自分が欲していたものということでしょうか?
普通に考えて、嫌なことや、悪いこと、否定的なことを欲する人はいません。
ですがより大きな視点から見ると、自分の中に未だ存在する否定的な部分を肯定的なものに変えたいからこそ、否定的なものを欲するのでしょうか。
ということは、否定的なことというのは、それを変えるために起こるということになりそうです。
自分の中の間違った定義づけを正すために否定的な出来事を欲しているようです。
否定的なことが起こった → 自分の中に間違った定義づけが存在すると分かる → 間違った定義づけを正して新しく定義づけする → 自分の中の間違いが減る、、、みたいな感じでしょうか。あるいは間違いを否定的なことという言葉に変えた方が適切でしょうか。
誰でもが肯定的な人生を送りたい。
でもその為には自分の中の否定的な部分を無くすために否定的なものを欲する。
、、、では、なんか面倒くさいですね。
もし否定的なことが起こったら、まだ自分の中に存在していた否定的部分について教えてくれてありがとう。感謝だね。否定的部分があると分かったからこそ、それを変えることが出来て嬉しいよ、、、って感じの方が良いのかも知れません。
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