死んでも「わたしというアイデンティティ」、「わたしという感覚」は、なくなりません。 :『BASHAR(バシャール)2017』

「わたしという感覚」、「わたしという見方」をなくすことは、ありえないのです。

わたしを「どう表現していたか」は、失われるかもしれませんが、「わたしというアイデンティティ」、「わたしという感覚」は、なくなりません。

以上を、ダリル・アンカ (著),‎ 喜多見龍一 (著)『BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。』98ページより引用させていただきました。

ということは、バシャールの言うことが正しいなら、私たちにとって死は存在しないことになります。

その存在の形は変わるかもしれませんが、私という感覚が残るのであれば、死は存在しないのと同じです。

しかもその私という感覚は、全体意識に取り込まれた中の意識ではなく、個としての意識だそうです。

死んでも肉体が無くなるだけで、意識的には今とあまり変わらない。
バシャールの言うことが正しいと仮定すれば、死後も自意識は残り続けるようです。

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