「最初は可能性しかありませんでした。誰かが観測して初めて宇宙は現実に存在することができます。観察者が何十億年も後に現れても構いません。宇宙は私達がその存在に気付いているから存在するのです」 マーティン・リース :『ザ・パワー』

「最初は可能性しかありませんでした。誰かが観測して初めて宇宙は現実に存在することができます。観察者が何十億年も後に現れても構いません。宇宙は私達がその存在に気付いているから存在するのです」

マーティン・リース(1942-) 宇宙物理学者

以上、ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳)『ザ・パワー』P.143より引用させていただきました。

バシャールもすべての現実はもうすでにいまここに同時に存在していると言っています。

つまりすべての可能性はもうすでにどこかに存在している。

それが体験できないのは、そこにいないから。

観察するためには、そこにいなくてはならないので、観察して初めてその存在を体験できる。

誰も観察する者のいなかった宇宙とは、靄のようなものだったんですかね?

可能性の雲みたいなものが、全宇宙を覆っていた?

さらに、人間がそこにいなくても、観察は可能だし。

その場合は、ディスプレイに可能性の雲が映っていて、人間がそのディスプレイを見たときに初めて、現実としての映像になるのでしょうか?よくわかりません。

猫がテレビを見る時はどうでしょう?

猫も観察が可能なのでしょうか?

おそらく猫も観察が可能なようですが、だとすると、猫も猫なりの独自の宇宙を創造しているのでしょうか。

もしどこかに猫がいて、でもその猫は、今このブログを書いている私を観察はしていないので、私は可能性の単なる雲の状態のはずです。私は猫にとって単なる可能性として存在しているに過ぎない。でも実際はそうではないのは何故でしょう?

どこかにいる猫にとって私は単なる無限に存在する可能性に過ぎない。
でも実際はこうして唯一のものとして存在している。
何故だろう?

それは自分が自分を観察しているから……

……なんでしょうね。

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